音楽愛好家の野外採集の友

 人が茸に熱中することによって、音楽についての多くを学ぶことができる。私はそういう結論に達した。その目的のために、私は最近田舎に引越したのだ。そして、菌類の「野外採集の友」の熟読に多くの時間を費やしている。そういう本は、よく古本屋で半額で見つかるのだが、そんな古本屋はごく稀に、ページの端が捲れてしまった楽譜を売る店の隣りにあったりする。そんなときには、私のしていることが正しいという動かぬ証拠を見た思いに心浮き立つ。

ジョン・ケージ著作選』(ちくま学芸文庫)より。装丁買いで中身も買い!文庫で1100円もしたけど!


ジョン・ケージ著作選 (ちくま学芸文庫)


収録の「合衆国における実験音楽の歴史」はかなり難解な内容ながら、無理やりに読み終えるとなぜか何かが分かったような気がする。そのくせ、理解できたといえるのは、
“「もしそれほど音楽が簡単に書けるのなら、私にもできるだろう」と言う人々が居る。もちろん彼等にもできるだろうが、只、彼等はやらない”
といったくだりだけなのに。ここで主張されているのは、マニエリスムから切り離した芸術、すなわち「技術」から切り離された芸術の存在。いわゆる現代以前の音楽とか絵画とか工芸品だと、「うまい!」とか「技術的にすごい!」という感想があるけれども、そして私はそのような精密な技術の持つ美を見聞きするのがとても好きなのだけども、「芸術」から「技術」を切り離したとき、芸術は美という実用からも切り離され、そこにはたぶん、純粋な「体験」「出会い」だけがあるのでしょう。ジョン・ケージが「実験」という語で呼んでいるもの。この文章を読んで、私も実験に触れてみたくなりました。