『The Three-Cornered World』

横田庄一郎・編『漱石とグールド 8人の「草枕」協奏曲』。
グレン・グールドが亡くなる直前、ベッドの枕元には『聖書』と一緒に夏目漱石の『草枕』(英訳)があったという。その事実を出発点に、横田氏の序文と8人の評論(エッセイ)を収録。柳月堂の書棚にて。八人八様の切り口で、文系理系・グールド寄り漱石寄りとバラエティーに富んでいたのだけど、それらの論以上に、論の間を流れてゆく事実のつながりが面白かった。


漱石とグールド―8人の「草枕」協奏曲

Gouing up a mountain track,
I felt to thinking.
Approuach everything rationally,
and you become harsh.
Pole along in the stream of emotions,
and you will be swept away by the current.
Give free rein to your desires,
and you become uncomfortably confined.
It is not a very agreeable place to live,
this world of ours.


草枕・英訳『The Three-Cornered World』より

山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば角がたつ。
情に棹させば、流される。
意地を通せば窮屈だ。
兎角に、人の世は住みにくい。


グールドが35歳のある時、汽車旅行中に相席したある大学教授から『草枕』の話を聞いて面白く思い、お礼に自分のレコードを進呈した。ふきこまれていたのはストコフスキーと競演したベートーベンのピアノ協奏曲「皇帝」。帰宅した教授はグールドにアラン・ターニー訳の『The Three-Cornered World(草枕)』を送る。“三角の世界”というタイトルは、『草枕』の一節「四角な世界から常識と名のつく一角を摩滅して、三角のうちに住むのを芸術家と呼んでもよかろう」からつけられた英題だ。




グールドはこの小説をいたく気に入ったらしく、50歳で亡くなるまでに日本語版と英語版で合計6冊を所有していたという。コレクション癖のあるグールドからすると複数の本を所有することじたいは『草枕』に限らなかっただろうが、6冊は多い。自分の企画したラジオ番組でも一部を朗読したし、仲の良かった従姉には、実にその全文を電話で朗読して聞かせた。グールドファンなら、彼がピアノを弾きながら歌っていたという事実をよく知っているだろう。なぜなら、グールドのあらゆるレコードには、ピアノの音色とともに(音声技師がどんなに努力しても消せなかった)彼の歌声がはっきりと残っているから。そして、グールドは31歳の若さで一切のコンサート活動をやめ、レコードによって自分の音楽を発信することを決めたから。すなわち、ほとんどすべてのグールドファンはレコードによって彼のピアノを聞いたし、そのレコードには必ず彼の歌声が残っていたのである。
このようなグールドが、書物に対しても「朗読」というアプローチを採ったというのは、むしろあまりに自然すぎて異常にも思えるほどだ。彼が所持していた6冊の『草枕』のうち、1冊には書き込みがあったという。しかしそれはグールドの死後、パリで遺品の展覧会を行った際にファンに盗まれてしまった。本書の研究者たちは嘆く。しかし救ったのもファンだった。盗まれる前に全ページの書き込みをメモし、複製を作っていた人がいたのだ。本書のある論文ではそれが紹介されている。ごく普通に想像されるような書き込みとは違い、それはすべて数字だった。グールドは各段落に番号をふり、自分の考えるまとまりによって、それらのグループ化をおこなっているのである。一種の編集作業であり、なんとも「音楽的な」やり口であった。ここで私の思いは、グールドのレコードに再び飛ぶ。本書の序文で、ある音楽評論家が選んだ今世紀最高のピアニスト100人のリストが紹介されている。当然ながらグレン・グールドも入っている。その紹介文は、「奇人にして天才、最高の音楽家の1人、グールドの前にも後にもグールドなし」といった内容である。「奇人」とあるが、演奏ではなく人柄に関する形容そのものが、残りの99人には全く使われていない。そして100人のうちグールドただ1人が、100枚のレコードのうちの1枚として収録されることを拒否した。レコードだけで活動するという彼の音楽活動の中には、「自分の音をみずから編集する」ことも含まれていた。「編集」とは過程である。結果を世に広く発表することが目的ではあるのだが、グールドは過程にこだわった。核心へ向かっておそるべきインテンポでつきすすむ彼の演奏は、聞いているうちに開放よりも堅牢な音の世界で身動きがとれなくなるような凄みがあり、そこにあるのも「過程」だ。むしろ継続そのものが目的であるような、しかし終わりが必ずやってくることの苦しみや歓喜をも意識させる、グールドは時間芸術の申し子のようなピアニストといえるのではないかと思う。


イギリス留学中にミレーの水死するオフィーリア画を興深く思った漱石が日本で『草枕』の那美を描き、『The Three-Cornered World』を読んだグールドが那美という不可思議な女性の姿と水のイメージをふくらませ、日本人とは別の理解のもとで小説を再編集する。沈む画から流れる音へ。本書は、これらのストーリーを一続きに語るのではなく、それぞれの研究者が全く別個の視点からテーマを切り刻み、その背後に、読者の私が1本の細い川のように上記の流れを読み取るという成り立ちの1冊になっていた。上記のようなとりとめのない感想はあくまでその一部。上質のミステリ小説のようであり、グールドファンの楽しめる本だと思う。