感想というもの

昨日は友人のTちゃんのところで文楽の感想を読み、ひきこまれる。もちろん、11月公演には絶対に行きたい…!とうながされもしたのですけど、今、文楽に行くことが本当に少なくなっていて、感想を読んで文楽に行きたいという以上に、Tちゃんの感性あふれる所感を読むことそのものが、別の種類の大きな楽しみになっています。
私は、文楽については昔から書き言葉に飢えていたところがあって、観劇のあと、文楽仲間と一緒にここが面白かったというのを「しゃべり倒す」ことは本当にもう、めいいっぱいやっていた(最高に楽しかった)のですが、「書く」「読む」という面ではまだまだ消化不足だったのです。
感想というのは、文楽の舞台そのものの一面を表したものにすぎず、むしろその十人十色の不完全さだとか、あるいは一面にすぎないのにそこからありありと全体像を思い浮かべてまったき自足をできてしまう幸福などが、いっそ文楽とは別の、人の感性と感性の化学反応のようなものを起こし、コミュニケーションを成り立たせてくれもするのでしょう。
昔から何度も、あまり親しくない人から「文楽に案内してほしい」と軽い申し出を受けることがあり、メールや口頭で切符の買い方だの、「こういうところを見ると(私は)楽しいですよ」といったことはいくらでも書き送るのですが、実際に劇場まで一緒に行ってその後も…というのはちょっと重荷なので、やんわりと断っていました。誰かにお勉強モードで鑑賞指南のようなことをするのがすごく嫌だったし。あまり親しくない人と文楽を口実にしたデートというのが、文楽好きとしては邪道な気がしたし。文楽に一緒に行った異性とは関係が長続きしないというのも、文楽者の中ではよく知られたジンクスだったし。当時は若かったので。。 でも、今にして思えば、相手の方の何人かはもっと大きな意味での「しゃべり言葉」がほしかったのかもしれません。申し訳ないことをしたなと思います。