マクラと笠碁

今夜は落語会に行きました。河原町今出川の府立文芸会館、3階和室だよー。学生の頃、この会場には自分が落語をする側で何度も行ったので、とてもなつかしい。学生のクラブがレンタルするにはけっこう高級な会場だったのよ。今日は一番太鼓も二番太鼓も、テンテンテレツクスッテンテンの締め太鼓→出囃子「石段」→前座さんが出てくる流れも、陽気で嬉しくってほわほわしながら聞きました。


桂さん都初天神
前座さんらしくテンションをあげた1席。実はひそかにブラックなものを隠し持っている攻め派では。
桂文我:武助芝居
長いマクラがとても素敵な内容。東西の落語家の爆裂エピソードを思い出すままにといった調子で(もちろん計算しているのでしょうが)、ゆったりととめどなく語っていきます。合間に彼らの声色を真似するのだけど、談志以外よく似てて、それだけで笑ってしまう。ここぞというツボをおさえた声の大小やテンポの緩急、深めのカミシモの取り方など、うまいうまい。小三治や枝雀や南光や米朝吉朝や可朝や喜丸や松鶴や……吉朝さんと喜丸さんは先年若くして亡くなられたので、笑いながらもうるっときます。あほ・しゃれにならないいたずら好き・人の話聞かない・酒飲みなどを冷静に観察したエピソードで、「ほんま大変な人たちですよ」と言いながら、彼らをこんなにうまく(丁寧に)語れるというのは、どれほどの愛情の賜物だろうと思いました。「武助芝居」はさらっと。でもマクラから噺の最後まで何度も吹き出しながら聞きました。
・桂福矢:笠碁
笠碁って超キュートな噺なんですよ。福矢さんは、30代金融関係勤務のサラリーマン的几帳面で神経質ぎみな風貌で、高座にあがるなり「手短かに終わらせますので」と真顔であっさり言うのがこれから会議でプレゼンするリーマンのようです。しかもそれに続いて、「うちの家は複雑でして、親父の両親は親父を生んだ後で離婚して、親父の母親はヤクザと一緒に住むようになったんですが」となんやねんその個人的すぎる生い立ち語りは、とドン引きしながら聞いていたら、そのヤクザと暮らしていた祖母君の影響で自分も中学生から麻雀をやるようになって、30才になったある日もパチンコに行ってやめられなくてスったので隣の銀行でお金おろして続けようと思ったら銀行に1円もないのにふと気がついた……とか、それがごく数年前のことです、博打はほんまあきませんよ、やめられへんのです、まあでもそこまでいかなくても囲碁や将棋にはまる人というのがおられますね、と怖すぎて冷気の漂うような回想からなんか無理矢理に囲碁の話題に持っていき、落語を始めました(笑)。そしてさっきも言ったように、笠碁ってほんとに超キュートな噺なんですよ。マクラはたまに口ごもっていた(それがまたリアルな語りっぽくて怖い)のですが、噺はしっかり仕上げてあって、爺が爺に聞こえず若く見えてしまうという難所もあったのだけど、独特のゆっくりとした間を持つ語りにどこまでも引きこまれ、あんまり愛しくて素敵で、オチの後みんなちょっと涙をぬぐってしまうくらいで、桂福矢さん、このギャップはラブです。良かった。
桂文我:富久
富久はスケールの大きいようなしょうもないような、いまだ魅力をつかみかねる噺。ダメな幇間・久蔵の天国と地獄がどれだけありありと感じられるかが決め手だと思っているのだけど、今夜はそういったドラマよりも、季節を先取りした師走の噺であること、火事があると皆で助け合い見舞いあうという習慣、ほのぼのした細部を味わって終わりました。ちょっと場当たり的な久蔵の演出は、師匠の枝雀のやり方を受け継いでいるのかな。


中入りをはさんで、
桂文我:酒飲みネタの漫談
文我さんは「4代目桂文我」なのですが、3代目と師弟関係にあったというわけではなく、実力がつくのに従ってだれかの名前を襲名したらと師匠に言われて、なんとなく選んだのが「文我」だったのだそうです。その時3代目はお亡くなりになっていましたが、この3代目、酒を飲むと難儀な人だったというので、その姿を想像しながら軽い落とし噺にしたてた一席。文我さんは中入り前とお着物を着替えて登場。


それにしても2時間半近くの充実した落語会で1500円、クラシック演奏会のチケ代とはすごい差です。