みいら採りが

ぱらぱらと再読するだけのつもりが、やはり面白いので一気に読み進んでいる『みいら採り猟奇譚』。
奥様は19才。旦那様は38才の内科医。夫は優しくて背が高くて頭のいい素敵な人で、マゾヒスト。新妻をあの手この手でくすぐるうちに、彼女もすっかりサディストのやり方を覚えます。そして――。優しいなと思うところも、えげつないなと思うところもあります。


二人が結婚するところから話が始まり、大エピソード(邦雄・比奈子・正隆の三角関係など)と中エピソード(父母に関することや松谷ひで子からの手紙や水風呂と銭湯と挺身隊など)と小エピソード(日常のささいな一瞬)とが、見事な構成で組み上げられています。SとかMとか恋とか愛とか、共同して生活を作っていく夫婦だとか、様々な要素を持つ二人の関係性が、流れの中でやがておぼろげな完成形を見せ始める。そして究極のラストシーンへ向かっていく。

それぞれのエピソードから想起されることはとめどなく尽きないのだけど(邦雄・比奈子・正隆の三角関係は本当に完璧で、コレットの「牝猫」を思い出したし、これしかないというラストシーンは三島の「奔馬」を思い出した)、今300Pすぎまで夢中の再読をして、おそらくこの作者特有の、もっともえげつないと思ったのは、「松谷ひで子」という女性から夫のもとに手紙が来る、ひで子は夫の昔の愛人で夫の性癖もよく知っているらしい、夫はその手紙を妻に読ませる、やがて戦争が始まって軍による手紙の検閲が行われるようになったので、夫は妻にひで子へもう手紙を送ってこないようにという手紙を書かせる、妻は一人でお気に入りの机に向かい、まず読者が戦慄するほど好き放題の手紙を書く、“わたくしも夫の性癖をよく知っていますのよ、あなたからのお手紙、二人でとても楽しませていただきました”、一通りウフフと妄想した後でもう一度筆をとり、今度はきちんと事務的で慎ましい文面をしたためる、それを夫に見せてからひで子に送る、だがその手紙は宛先人不明で戻ってくる……。

「戻ってきたのよ。住所は合っているのよ」
 昼御飯の時、比奈子は受取人の住所不明となっている手紙を正隆に渡しながら先ずそう言った。正隆はじっと見て、急に苦笑した。
「住所に偽りありだな」
と手紙をぱたりと膳の蔭へ置く。「――手数をかけたね」
 比奈子はふと察して、あっけにとられた。
「凝ったこと、ほんとにお得意の人なのね」
 彼女は言って、正隆が重ねて苦笑するのを見た。


えろいよね。
全部夫の芝居、と妻は気づくわけです。妻に手紙を書かせるプレイというわけです。夫はそれに対して苦笑しかしない。本当にプレイだったのかどうかまでは書かれない。でも妻はプレイだと直感していて、その直感は何にもとづいているかと言えば、彼女は夫という「その人」を心身ともになまなましく実感してきた経験があって、それゆえに彼をわかっているからです。たぶん、プレイなんでしょうね。

  • 夫:「苦笑」のみ=色っぽさと(妻にだけ実感される)なまなましさ
  • 妻:「妄想」と「あっけにとられた」=なまなましさと子供っぽい可愛さ

どっちがえろいかと言うと、夫ですよね。小説全体が妻視点だから、夫の方が色っぽく描かれているんです。えげつないと思ったのはね、結局のところ、妻の1回目の手紙、貞淑バージョンを書く前のもの。あの部分、夫は知らないままで(察するところはあるのだろうけど)、妻と読者の秘密になってる。そんな秘密を共有させられる読者はたまったものじゃない…。妻がおおむね無邪気なのでとても怖いです。慎みはあれど拒絶はしない。こういうのを自分と同じ女性が書いたっていうのがね…。見たくない精神的ストリップを見せられてしまって、私も困るし、ストリップした妻がそのことに無自覚で(夫に怒ったりしない)ちょっとかわいそうっていうかね…。読者が目をそらしているものをつきつけて来ますね。でもなんか愛があるんだよね、夫婦の間にちゃんと。ストリップは大事な夫に見せるより読者に見せる方がましかもしれない、だからしょうがないかなぁって、照れくさいような気持ちにもなる。そういうの含めて全部がえげつない。凄い。


ちなみに、いつもの(いつもの…)カプ語り的に読めば、この小説は年上M×年下Sっていうねじれがあるのが読みどころで、SMって、Sの側の方が想像力が必要なのじゃないかな。Mが何を求めているか想像して、先回りしていじめないといけないから。この夫婦の場合は夫が圧倒的に年上なので、何でも夫がお膳立てをするのだけど、こういう場面で妻の無邪気さ・カンの良さ・平然としたS気質がさりげなく描かれていて、個人的に、今まで漠然と思っていたSM観(?)にぴたりぴたりと当てはまります。どうでもいいことですが。
また、直接のプレイに関しては、とにかく「叱る」+折檻として「ひっぱたく」というやり方で、それも大好きだから叱るという感じに読めました。相手が物理的に絶対にできないことを命じて、できないから叱る…。愛だね。できないって分かっていることをわざと命じるなんて、互いに甘えてるし甘えさせてる関係だからこそ。「こんなに責められる」って言う夫の台詞がなんとも甘美。さらに、新しいプレイを何かやる時、絶対にできることをやるというのも甘美。「がんばる」「挑戦する」という関係じゃないのだ。比奈子が正隆に空を飛べと言ったら、それは絶対に飛べるか、絶対に飛べないか、二つに一つ。がんばって飛んでみましょう?なんていうチャレンジ精神とは一線を画した、二人きりの信頼がそこにある。

色っぽいのは夫なんだけど、妻も綺麗でえろくて可愛い女性だと思います。夫婦どちらの行為にも共感はしませんが、共感しなきゃいけない小説でもないから良いです。


感動した部分もあった。
あとで、ゆっくり考えてみたいと思った部分もあったようだ。
しかし、比奈子は、説明するのはめんどうだった。
思い返してみることが、まず面倒に思われた。


乾いて、やさしくて、やらしくて、可笑しくて、身体から言葉が心がほろほろと剥がれ落ちていくようなこの読み心地。




追記、『みいら採り猟奇譚』終わり。最後は悲しくなった。
文楽の心中ものを見ているような感じで、「その」数秒間、主人公2人は神々しいまでの深い歓喜に満ちているけど、見ている私は悲しい。貝波に疎開したところからもうやたらと悲しかった。男2人・女1人の構図では、やはり男2人が死ぬしかないのか。作者はそのようには言っていないけれど、戦争の抑圧がなければ、こういう結末にはならなかったのではないか。


あと、貝が食べたくなって困ります。