かわいい

週刊新潮の広告ページをぼんやりと読んでいたら「当時の男性読者のロマンティシズム(今風にいえば萌え心)を刺戟したであろう」という一文がでてきて、なんか、ふいた。言えなくもないよね。

それはそうと、「萌え」というこの語が嫌いな一般人(一般人?)は少なくないだろう。私は慣れているからか完全に「萌え」に麻痺していて、喜びもしないし不快にも感じない、特別な語とみる意識が皆無。
でもその代わり、「紅茶をいただく」という時の「いただく」とか、「はしたない」とか、えせ上品に感じられて怖気が立つほど嫌いな言葉も私にはある。ううむ、「いただく」は場面によりけりだけども。つまり、こういった好き嫌いは、もう、人それぞれで…。

ロマンティシズムや萌えなんて、それがこっそりと可愛いスケールにおさまっている間なら、どうってことのない良い言葉だと思う。一方でそれが、金銭と性欲がからんだ大阪の新地の情報を書いたサイトをうっかり読んだり、小説を読んだりすると、怖い時は本当に怖い。子どもの怖さではなく大人の怖さだ。ロマンティシズムが他人への暴力となり、暗黒の力が簡単に人を押さえ込む。暗黒の世界では、「かわいい」という語が、とてつもない怖さを感じさせる場面で使われる。押さえ込まれる怖さだ。
けれど、その暗黒が善悪をこえて幾重にも深まった、その中にこそ美しいものがあるらしい。「かわいい」って深いなあ、とこわごわ思うわけで。
「良識」は時代によって変化しそうだけれど、暗黒はいつの時代にも消えてなくならない。


暗黒の物語で思い出した、今夜、河野多恵子さんの『みいら採り猟奇譚』を読み返してみようかな。夫婦でSMをする物語。

みいら採り猟奇譚 (新潮文庫)