バス代 320円

財布には、だいたい3000円〜10000円のお金を入れている。突発的にコンサートに行きたくなった時だけ、ちょっと困る(関西のコンサートホールはクレジットカードが使えないところが多い)。
そんな私がここ1、2年「お金かけてる〜」という実感があるのは、バス。1回が160円か220円なのだけど、行きに乗れば帰りにも乗るし、むだに乗りついで寄り道もするし、まれに乗りまちがうし(一昨日、疲れてぼけーとして……恥)。
バスに乗っている時、自分が「お客さん」という意識があんまりない。いつもの喫茶店の椅子にすっぽりおさまっているのと似た気分。バスの一員という気分である。乗り物で居眠りができないほうなので、疲れたつまらなさそうな顔のまま窓の外をじろじろ観察したりする。その日の出来事について、脳内反省会を催したり。小人と円卓会議を開いたり。
バスに乗る時、降りた後、近づいてくるバスや遠ざかるバスを見る瞬間の、何百回とくり返しながらそれぞれがただ1回きりの一瞬であるという感覚。それは、「しあわせ」というほどキラキラしてはいないけれど、10年後に振り返ってみたら、はるか遠くの山に日が当たってぼうっと輝いているのを眺めるように、「しあわせ」ないとおしさを感じるのかもしれない。

角田光代『しあわせのねだん』(新潮文庫)。

しあわせのねだん (新潮文庫)

読んで下さった方々、どうもありがとうございます。あんまり人と話さないお金のこと、今度私に教えてください。

いえいえこちらこそ。バスのほかにもこれは…というものがあるけど、それは角田さんだけにお教えしましょう。角田さんらしい、家計簿エッセイでした。バス人間だから、角田さんがsuicaひとつでオタオタしてる章なんか、イラッとしました(笑)。で、100頁をすぎるころから、小さな凄みの予感が。

角田さんのエッセイは、昔、BALにジュンク堂ができたばかりのころ、一緒に書店徘徊をしていた友人から「これおもしろいよー!」と『これからはあるくのだ』を教えられ、さっそく文庫本をレジに持って行きました。たしか、私は代わりに川上弘美さんの『あるようなないような』をすすめて、友人も文庫本をレジに持って行ったと思います。その頃、その友人とよくそんな遊びをしていました。文楽仲間でもあり、喫茶店仲間でもあり、書店仲間でもあり、とても聞き上手な年上の友人でもあり、たくさん遊んでもらったなー。あのころはバスより京阪電車によく乗っていました。


これからはあるくのだ (文春文庫) あるようなないような (中公文庫)