8つの話

ちくま文庫の『魯迅文集2』から『故事新編』を。訳注は竹内好。中国の神話や伝説を素材にした短編8編です。

  • 「天を補修する話」

 創造神のひとり女媧(じょか)が人間をつくったり人間にたかられたり天の裂け目を補修したりする話。亀も登場。気分は十二国記

  • 「月にとび去る話」

 かつて太陽を弓で射落とした羿(げい)と、羿を裏切って月に飛んだ妻・嫦娥の話。羿が男前すぎ、嫦娥が可愛すぎ。この話は先日の『ごちそう帳』にも収録、口に入れるものが夫婦に大問題を引き起こすのである。

  • 「洪水をおさめる話」

 変てこな話。夏王朝黄河が氾濫して世界の一部が巨大な沼になっている。そこに民衆と学者たちが住み、水苔を食ったり議論を戦わせたりしている。治水を命じられたのは禹の父子。「禹」って誰?と議論をする学者たち。読んで目に浮かぶ風景がけっこう強烈で、意味不明なのに忘れがたい1編。

  • 「わらびを採る話」

 周王朝、伯夷と叔斉の老いた兄弟は養老院で大切に養われているが、紂王を滅ぼした周王にどうしてもなじめない2人は養老院を抜け出し山に向かう。

  • 「剣を鍛える話」

 16歳の柔弱な少年・眉間尺の父は刀工で、青色透明の剣を鍛えて王に殺された。眉間尺は父の仇を討つべく家を出る。警戒する王。なぜか復讐を助けてくれるという男が現れる。王宮にて男が歌い、生首になった美少年が水の中で舞い踊り歌う。一歩近づく王。魯迅流の華麗な物語。目も耳も口も皮膚も全部使って五感が狂いそうな戦い。

  • 「関所を出てゆく話」

 棒きれのように座っている老子。そこへ孔子が2度やってきて師弟の礼をとり、問答をする。1度目は孔子が棒きれのように言葉を失って帰っていく。2度目は老子が去る。関所を出ようとして役人に取り囲まれ、講演をさせられる。

  • 「戦争をやめさせる話」

 宋を攻撃しようとする楚を墨子がとめる話。うはあ、なるほど、墨子…。酒見賢一墨攻」はこの話からも影響を受けているのでしょう。

  • 「死人をよみがえらせる話」

 戯曲形式の1編。野原で髑髏を見つけた荘子。あの荘子に見つかってしまうなんて、死んでまで不運な髑髏。



8編はおおよそ伝説の古い順に並べられていますが、系統だった世界観が提示されているというわけではなく、8つの別々の世界として読みました。書かれた年代も発表のしかたもバラバラのよう。注によれば魯迅の風刺精神もずいぶんとこめられているようですが、具体的に何を風刺しているというのは、説明されてもピンとはきません。「剣を鍛える話」などは寓意抜きの幻想譚としても強烈ですし、墨子の方法、老子孔子の問答、荘子の独特のキャラクターなど、派手ではないけれどウームとうならされる感じで、のらりくらりとした言動に、楽しみどころも多いです。

読んでいる間ずっと感じていたのは、何よりも「過去」が「今」この瞬間に現前する独特の感覚でした。過去の話を読んでいるとき、たいていはそれを現在につながるものとして読んで納得しているのだけど、魯迅の文章は五感に滑りこんでくるサブリミナル効果がすごいので、過去を分析的に理解するより先に、理解とはかけ離れたところにある過去、私自身の記憶とか理解とか納得とかには全く無縁な過去が、そのくせとても親しく、そこにある感じ。

神話というのはもともとそういうものかもしれない。時間て、いろんな可能性があるんだなーと当たり前のことが楽しくなってきます。