いつものあれ

それからついでに、モリコロパークフィギュアスケートエキシビションを見ていて、「うまいね!」「かわいい!」とか言ってしまうんだけど(他の感想もきゃあきゃあ言いながら見ているんだけど笑)、うまい人というのは必ず独自の表現を確立させている。また、滑走の最初から最後までずっとうまいというのも共通点だ。途中で観客の気をそらさない。そのうまさというのは、失敗してもうまく取り繕うといったレベルのことではなくて、根本的なところで滑走が単調でないということ。ジャンプの成功やスピンやスパイラルといった技の種類だけではなくて、踵やつま先に力を入れる、ほんの少し手を使う、あごをあげる、腰を使う、首をのばす、自分の全身を様々にたっぷりと使っている。それに3分なら3分のまとまりのある時間性が加わって、動きが千変万化しながら液体のように流れあふれ、一つの立体的な世界がたちあがる。その結果つたわってくる個性を好もしく感じるかどうかは見る側それぞれによるだろうし、表現されたものをありきたりと感じるか新鮮だと思うかどうかも、見る側それぞれのバックグラウンドによるだろう。ただ、その人の身体的個性に合った表現方法を確立させていること・最初から最後まで観客を惹き付けることというこの共通点は、落語家のうまさと通じるものがある。