本日のショパン

大阪・いずみホールにて、ピエール=ロラン・エマールさんピアノ。

モーツァルト:ピアノ・ソナタ第6番 ニ長調
ドビュッシー:ベルガマスク組曲
         前奏曲メヌエット/月の光/パスピエ
休憩
ショパン:子守唄
      スケルツォ第2番 変ロ短調
ベートーヴェンエロイカの主題による15の変奏曲とフーガ


まずはいずみホールを礼賛しておきたい。最寄り駅は京橋駅大阪城公園駅、先日読んだ『日本三文オペラ』の攻防跡が現在はこのような文化施設集合地になっているわけで、弁天橋を渡りながらちょっと奇妙な思いでしたが、高級感のあるきれいな建物。隣接する住友生命ビルの1階はヤマハショールームになっており、ガラスの向こうにぎっしりと20台ほどのグランドピアノが並んでいるのを見て楽しみながらホールへの階段へと向かいます。受付の方もとても親切(電話応対とか感じいい)かつ、むちゃくちゃに音響のいいホールです。最初にピアニストが出てきた時、拍手していてびっくり、感動するくらいきれいな波状の響き。拍手がやむとほんの1秒ほどの残響がふわりとして、吸い込まれるようにぴたっと音が消える。そして演奏が始まったら、スタインウェイの音がよく響くこと。さらに、ピアノがめっちゃうまいこと。選曲その他のセンスがめっちゃおしゃれなこと!。
終演後、会場を出ながらサラリーマン風の若い男性2人が「こんだけすごいと、聞き慣れてない人間にはもう苦行やな」と言っていましたが、それも言い得て妙なところがあります。おしゃれとかユーモアって、その人や社会や民族などの根本的な好みが問われるもの。エマールさんのは、とくに日本人の私(たち)には耳慣れない感性だったなあと思うのですが、贅沢な空間で、モーツァルトの華やかで繊細な複雑さ、ベートーヴェンのシンプルで肉感的な音の絡み合い、美しく、時には目のさめるようなユーモアを含んだ、たいへんすばらしい演奏でした。


モーツァルトソナタは3楽章構成で、第3楽章は変奏曲になっています。最後のベートーヴェンも変奏曲で、構成がうまくまとめられている上に、モーツァルトからドビュッシードビュッシーからショパンショパンからベートーヴェンへと、右手の高音とピアニシモを聞かせる箇所の多い曲から徐々に左手の低音とフォルティシモを聞かせる曲へと、演奏会全体で一つの流れが生まれるようにプログラムが組まれていました。
とりわけ私の気持ちがショパンづいているこの頃なので、ショパンに至福。子守唄もやはり変奏曲めいたつくりになっています。左手は一つのフレーズだけを最初から最後までゆったりと繰り返して羊が1匹、羊が2匹…と眠りを誘うのですが、右手がこちょこちょとくすぐってみたり、窓から花の香ただよう美しい風を吹かせたり、猫がニャと鳴いたり、優しく愛おしい歌を歌ったり。こんな子守唄で寝るなんて、どんなハイセンスな赤子やの…。続くスケルツォは以前から好きな曲で、ダークなショパン節のきいたカッコいい曲。
ドビュッシーのベルガマスク組曲ももちろん好きな曲です。澄んだ音色が清らかで、ちらりと一瞬だけ官能を匂わせます。昔、有名なアニメーターが若手のころ、「I love you」を自分なりの台詞にしてみろという課題に「あんたなんかだいきらい!」という台詞をつくったそうです。それよりさらに昔、有名な文学者が「I love you」を日本語の詩に翻訳するのに、「月がきれいですね」という一言を書いたといいます。エマールさんのベルガマスク組曲は、「月がきれいですね」の一言を本当に繊細に音楽にした感じ。何も悲しくないのに、理由や理屈が言葉になる前に自然にじわっと浮かぶものがありました。嬉しいのかもしれません。ただ「月がきれいですね」としか言いようがなく、1音1音が澄んだ濃密を実現していて、とてもきれい。ベタベタに弾かず、幕切れのすっとした引き方が大人っぽいわ。


アンコールはまさかの現代音楽。フランス語で紹介されたので誰の何という曲やらわからずじまいでしたが、不完全な曲につきものの居心地の悪さなど全くない、かっちりとメリハリのきいた完成度の高い現代曲を1曲。たぶん有名な曲なのでしょう。その後もやまない拍手に「パンドミー」と言ってピアノに向かうので、わくわくしながら待っていたら、きれいな手つきでとても難しそうな曲を弾く「真似」を始めました。ええー真似なのー!(笑)。パンドミー、すなわち英語でいうパントマイムでした。