理想論

風邪は一進一退。今夜はもう少しアレしてから寝たい。

例の事業仕分けの話題は、毎日聞くたびに大きなストレスであったので、中継すべてをきちんと追っていたわけでもないのですが、今日で終わってとにかくほっとしました。
来年度の国家予算で不要なものを削ること、来年の日本において何に一番に価値がおかれ、何が必要でないとされるのか、その議論が公開されたというのはとても良いことだと思うのだけど、現実にはそれが拙速なプレゼンテーションや的外れで感情的な反論などで次々に処理されていったというのは、本当にいたたまれないことであったよ。
経済の成長戦略がないのだから、今どこかで使っている事業費を子ども手当などに回すしかないのは分かりきったこと。ただ、科学技術の方はよくわかりませんが、科研費などを削ることのしわ寄せは、けっきょく子どもに行ってしまうと思います。今現在、現場の研究者に資金がないのは、しかたがないです。貧乏な人が論文を書く=結果を出すのってほんと大変ですけども。でもそれはひとまずは研究世界の中での競争にすぎません。問題は、大学院の規模とレベルが落ちると、最終的には学校教師の質が落ちること。脳に新鮮な酸素を送りこみ続けるように、ほんの少しでも前に進もうとする研究の空気のようなものがずっと「そこらへん」にたゆたい続けていないと、関係する位置にいる人全員の専門知識の水準がどんどん下がって、教師もコミュニケーション力と体力だけで授業をしなければならなくなります。
子ども手当出生率があがったとして、高校までの進学を保証したとして、そのあと彼らを待っているのはどんな社会かわからない。高齢化は進むし、若者は非正規雇用の一生かもしれない。それを、「いろんな道がある」と楽しんで責任ある人生を送っていくのに、少年期に公費で豊かな授業を受けていなければ、少しつらいと思うよ。学問をするというのは、とどのつまり、それまで知らなかった違う生き方を無数に学ぶということだし、自分の生を肯定する方法を学ぶということでもあるのに。
だけども、現実には仕分けより前に大学そのものがどんどん無力になり、崩壊していっているわけで。
けんきゅう、の存在感に説得力を持たせるには、専門知識のある研究者が、それぞれの専攻と関連する小中高校の教科とリンクした発言や活動をする・研究者であり教師である人が良い仕事をする、研究者と教師がうまく分業をする、といった方面のことを地道に積み重ねていく必要があるのだと思います。
ということで、過渡期の今、文学系の研究界にもインターンシップを広めればいい。
つくっちゃえばいい。