ポン!と

PCメールの着信音がピアノによく似た電子音。とくにブラームスの「パガニーニの主題による変奏曲」の最初の和音にそっくりなので、メールが来るたび、そこから1曲始まるんじゃないかと思わず期待してしまいます。いやいやいやメールですから…みたいな。対世間様用として、低めのところでフラットに保っていたはずの気分が、しばしワクテカと跳ねて熱を帯びます。軽い。


図書館で借りた『世界幻想文学大系35 英国ロマン派幻想集』(国書刊行会)が粒ぞろいでバラエティーに富んだ、とても面白いアンソロジー。伝説と実話、光と暗黒が交錯する。「前近代的」というと何やら現代より劣るもののようにも聞こえるので違和感がありますが、アンソロジーから感じられるパワーがすごい本です。パワフルな本はいいものだ。
荒涼たるブルーグレイの海、強い風、清らかな草、灰色の石、砂埃の道、人間、獣たち、脳裏にやきつけられる風景描写。荒野で女王が真っ白な裸体を花びらに埋もれさせながら水浴し、黒衣の騎手が強欲な老婆をあっという間に連れ去る。精神科医と吸血鬼が絵空事でないなまなましさで戦い、名もない女の冷静な夢日記がページをくり広げる。また感想を書けたらと思います。
とじこまれていた月報には、日本英文学界のダイナミックな怨み節も書かれていて、ちょっと笑ってしまいました。

…かつてロマン派研究は、丁度その後に続くヴィクトリア朝文芸の研究が「滋味掬すべき」文芸という評語で若い研究者たちから封印されていたように、こちらは「神韻縹渺」たる文学とか何とか言われて、志の高い一部エリート研究家のモノポリーと化していた感があった。「滋味」や「神韻縹渺」では到底若い者には歯がたたず、老大家たちがキーツシェリーの「愛」を説き、その「難解」を言う傍で、本当に面白いところを隠蔽されていることにも気付かぬ儘、多くの若い研究家がさし当りシェイクスピア研究へ、何となくフォークナー研究へと流れていく。そういえば、ぼくが学生時代にとった独文学の授業でも、老T教授が、老いてなお少女に恋した「文豪」ゲーテの「情熱」をとつとつと語り、その「叙情詩」を涙を流さんばかりに朗読するのを聞いて、こりゃおれにはとても無理だと観念したことを思い出す。いずこも同じ秋の夕暮なのだろう。ゲーテのあの画期的な色彩理論や植物学のことも、ファウストⅡの錬金術のことも、ついに一語としてこの大先生の口からは出なかった。自分が恐ろしく偏向したことをやっていると気付いている風さえなかった。ロマン派の人たちほど同時代の科学と深く通底した芸術家たちは空前絶後なのであるとすれば、旧来のこうした外国文学研究は犯罪的な偏向をおかし、若い人たちを面白さから限りなく遠ざける、いわれなき知の搾取制度ではなかっただろうかとさえ、この頃ぼくは思う。
光明が訪れてきたのがいつのことだったか、それははっきり、要するに荒俣宏由良君美氏のごっちゃになった影響力を若い人たちが浴びたその瞬間、と言うことができる。両氏が英国ロマン派を突破口としてぼくらに若々しいメッセージを届け始めたのは多分偶然ではない。面白さということでは他に類をみないのに、その面白さをこれまた完璧に封殺されてきた時代だったからだ。実際、エラズマス・ダーウィンに紙幅を割き、R・J・ソーントン『植物の殿堂』のメゾチント挿画やフィリップ・ゴスの博物誌のクラゲの細密画などを歴としたロマン派として取り込むレイモンド・リスターの(今ははっきり画期的名著と断言できる)『英国ロマン派絵画』(1973)などを正当に評価するコードをぼくらは持ちあわせず、とまどうばかりだった。文学が科学と、「純」文学が「大衆」文学と通底し、さまざまな知的モードが渾然として一つのかたちを生み出していたという点で他に比疇すべき何ものものないロマン派文芸の、そうしたトータルな面白さを由良氏の『椿説泰西浪曼派文学談義』や荒俣氏の数冊の大著が教えてくれ始めた時、それは当然「神韻縹渺」神話の破壊というボレミカルな作業とならざるを得なかった。……


高山宏「もう一人のヒロシを礼賛する」より)