小さな包み

「だんな」
「なんだ」
という呼びかけ/返答がワンセットになったやり取りが江戸落語にありまして、亡くなった円楽さんがお妾さんネタの小噺でよく入れてみたいなんですけどね、悋気の火の玉のマクラなんかで。
声を出して笑うほどおもしろいクスグリではないし、そもそもクスグリ(=落語で、噺の中にちょこっと入る笑いどころ。客席を「くすぐる」、だじゃれが多い)とすらいえるかどうか…というものなので、聞いている方も気づかず流れることが多い。しかし、地味な話の地味な場面でこれが入っていると、ちょっと笑っちゃうのです。
落語には、爆笑型の噺と笑いどころの少ない噺とがあります。笑いどころの少ない噺の中にも、人情に訴えかけてじっくり聞かせる噺もあれば、本当にただただ地味で主張の少ない噺もあります。そういったテンションが低めの、ロウな落語の途中の、クスグリかどうかも定かではないような、
「だんな」
「なんだ」
の輝きといったら。
この輝きを15分なり20分なりの高座のどこに置くかというのは、実に悩ましい問題です。高座にあがってすぐに言うと、ほんとに誰にも気づいてもらえない。マクラとして早いうちに言うのだけど、少しだけ、ほんの少しだけ、客席があたたまった状態で言いたい。


さっき、急ぎの書類仕事で新聞コラムの要約をしていて。
文章の構成を何度も読み返して考えている最中、役にたたない脳髄がついと差し出してきたのは、「だんな」「なんだ」ひとそろいの小さな風呂敷包みでした。