とりとめのないものおもいのじかん

下のATMに続き、あいかわらずどうでもいい話を書いてしまうのですが…。
帰宅したら隣人がシュークリームをお裾分けしてくれたので、コーヒーをいれようと思い、台所のこんろの前に立って、やかんもかけずにしばらくじいっっ…と待っていた。とりとめのない物思いにふけりながら。「待っていた」のですよ、コーヒーが出てくるのを。1年に数回、そんなことがあります。たとえば他に、自動ドアじゃないところで、ドアが開くのを無意識にじーっと待っている。
人間って怖い。
「人間」と一般化することの危険は承知していますが、あえて言いたい。いくら私が人一倍ぼけているにしても、全体として、この話は人間の怖さに帰結する。
私は、紙コップのコーヒーが出てくるドトールの自販機を、週に1度くらい利用しています。硬貨を投入し、しばらくじっと立って待って、何か考えたりしていると、コーヒーが出てきます。自動ドアでもそうです。電車に乗っている時など、ドアの前に立ってなんとなく待っていると、開くんですよね、ドアが。ぷしゅーと。そういう生活を数年続けると、こうなる(こともある)んですよね。
習慣、というよりは業が深い。生活の中の、機械がつくってくれた20秒ほどの時間を、無意識のうちにたっぷりと享受している自分を発見するのです。猫科の猛獣が獲物をうにゃうにゃむさぼるように、動物的な反射運動で。