「音楽会での感激を、家に帰ってすぐ天ぷらに表現してみせる」「快い絵を見たら、その途端に歌ってしまう」「読書のあとの感想を、絵に描いたり、匂いで表現してみせる」
…というのを〝ことばがすべてじゃない〟という文脈であげている評論を先日読んだ(筆者の名や全体の論旨は忘れてしまった)。この部分だけメモした紙がかばんからぺろっと出てきた。そうだ、筆者の名前もきちんとメモしようとしたところで、「ねー」と話しかけてくる人がいてそれきりになったのだわ。天ぷら・歌・絵・匂いをつくることを一緒くたにしているように思われ、少し気になった。この場合の「匂いで表現」って職人が香水をつくるみたいな実地の作業のことだよねえ? 「この小説は花のような匂いがした」って言葉にすることじゃないよねえ。あと、「歌ってしまう」のは自作の歌なのか既存の歌を引用して歌っているのか。1つ1つの場面が、浮かびそうでいて、案外浮かんでこないのだった。「表現」と「表出」をわざと混乱させているような、個人的にあまりそういう評論は信用できないのだった。私にはそういう偏向があるのだ。だからこそもっと続きを読みたかったのにばかばか…。