前の記事からまた1年たっちゃうよ!とOさんがおっしゃるので、またもや久しぶりに。ここに書きます。


いたって元気にしています。
あいかわらず一人暮らしです。
6月、実家にアメショーの子猫が2匹やってきました。豆粒みたいに小さかったので、「こまめ」と「しじみ」。先住猫と合わせて6匹になりました。(と言っても先住猫のうち2匹は半野良に近い) 並べてみると、ちい子、三毛子、も子、ジョバンニ、こまめ(こま子とも)、しじみ。です。



家に小さい子がいないので、みな子猫を孫のように可愛がっています。世話をしてやりたくて、甘やかしたくてしようがない。もと野良だった三毛子にとって、人間の愛情とは猫の手練手管で勝ち取るものでしたが、こま子たちにとっては愛情は空気と同じ。生まれつきそこにあるもの。それでいいのか?一度捨てて野良生活を体験させてみるか?と思わないでもないです。



先週は911の週だった。祖母が死んだ日で、皆で遺骸のお守りをしながらあの衝撃的なニュース映像をちらりと見て。そのまま目を戻し、重い通夜を過ごし、翌朝もう1度あらためてニュースを見て。もんわりとした湿度のこもった祖父母の家の古いテレビを向いて、伯母がぼうっと、「これから私ら、この日をずっと覚えとるんやねえ」と言ったのでした。
その後、確かに私たちはそのようにしてその日を覚えた。それは事実であり、またあの時あの瞬間、作られた物語でもあり。うちの一族の女系や子どもたちは物語を作るのが得意です。葬礼の日の夜にはすでに、「おばあちゃんの幽霊を見た」という幼い従弟の証言が…。



偶然なのですが、昨日読み終わった小説にこうあった、「生と死のどちらを選ぶかじゃないんだよ、できるだけ長く生きるにはどうすればいいかを考えるんだよ」(『香水ジルバ』)。ほほう、と面白く読みました。
長く生きるには匂いの力が必要だそうな。