抜き足、差し足、勇み足

同僚が厄日だらけ。一人はかばんをあけるや激しい悲鳴を出したので驚いて見ると、かばんの中でお茶をぶちまけていた。午後、のんびりしていたらまた一人がやって来て、「おねがいが…」「すごく言いにくいんですけど…」「いえもう笑ってくれても…」となかなか用件を切り出さない。なんでしょう?と待っていたら、ついにきっぱりと、しかし上目づかいで、
「…財布忘れたので1000円貸してください。」
きゅーん!!(←胸の高鳴る音)。
そ、そんな、そこまで恥ずかしがることじゃないですよ(笑)。家が滋賀県で職場が大阪寄りの京都と遠いので、気づいた時にはもう取りに帰るという選択肢がなく、電車のカードはたまたまポケットに入っていたのだけど、バスなど職場の身分証を見せて乗ってきたそう。さらに別の同僚は、ちょっとPCの電源を入れるのに手近にあったコンセントがふさがっていたので使っていなさそうなものを抜いたら、その階のネットワークをダウンさせてしまったとか。話しながら自分で自分にへこみ、その場にへなへなと崩おれていた。そのまま床に埋まりそうなほどの崩れっぷりだった。私では何の役にも立ちませんでしたが、なんとなく一緒にいてよかった、へこむ時は一人でへこまない方がいい、誰かがいた方がましだという気がしました。


帰りにまた柳月堂に。今日はバッハ様を聞きたいと思い、グールド神のゴルトベルク変奏曲をかけてもらう。今日はお客が7〜8人いて、リクエストがかかったのは1時間後くらい。土日はかなり混みそうです。それでも1時間のあいだに本を読んでいたら仕事の疲れが抜け、頬杖をついてゆったりとグールドを聞いた。あくまで個人的な、とりとめのない印象だけれど、グールドさんのゴルトベルク変奏曲は、ピアニストの腰に長い縄がむすびつけられていて、縄のもう一方の先は「普通」というものにむすばれている感じ。誰がむすんだものかは分からないけど。ピアニストは少しずつ縄を引いて、「普通」から離れていく。縄は長いので、かなり離れてもまだ「普通」とむすびついているのですが、グールドの指と音とリズムは力づくでぶよぶよした層を掻き分けて道なき道を前進し、縄は次第にはりつめていく。そのピンと張った縄を、やがてぶった切るおそろしい瞬間に、グールドその人の強さを感じる。
子どもでも大人でもない、幼くも成熟もしていない。やはり個性的な演奏と思う。最初のアリアはまだ「怖いくらいに静謐」という普通のすばらしく美しい演奏なのだけど、今日みたいに集団でこの曲を聞いていると、変奏が進むにつれ、聞き手の中にじわじわ脱落者が出てくる雰囲気があります。皆の異様な集中と身じろぎやため息で、なんとなく。


インフルは、えっと、気をつけます。。。