幸せな哀しみの話

山田詠美編『幸せな哀しみの話―心に残る物語 日本文学秀作選』(文春文庫)。山田詠美が選んだ昭和の短編小説アンソロジー。アンソロジーおもしろいねー。おもしろかったよー。

心に残る物語――日本文学秀作選 幸せな哀しみの話 (文春文庫)

表紙から爽やかさの欠片もないし、なぜにこんなにどろどろと血液だの唾液だの精液だの汗だの足の裏だの蛇だの牡蠣だの鳥だのの出てくる話ばかりと思うが(鳥というのはある面ではとてもきもちわるくて哀しい生きものである)、一見力強く骨太の文章たちの中にある繊細さ、五感を澄ませて一瞬だけ分かるような、儚く精妙な味わいを持つ話を集めていて、「幸せな哀しみの話」というのが後から実感できた。
いちばん(文字どおり)ドロドロなのが草間彌生さんの「クリストファー男娼窟」。読後がいちばん清らかなのも草間彌生さんの「クリストファー男娼窟」。
後半の短編はユーモラスなものが多い。
全部で、中上健次「化粧」、半村良「愚者の街」、赤江獏「ニジンスキーの手」、草間彌生「クリストファー男娼窟」、河野多恵子「骨の肉」、遠藤周作「霧の中の声」、庄野潤三「愛撫」、八木義徳「異物」を収録。
中上健次、赤江獏、庄野潤三はかなりの作品を読んだ作家に入るけれども、こうして読むと、山田詠美セレクトがいかに上手に粒をそろえたか、読者のことをとても思いやったアンソロジーだと思われた。楽しませてくれる。考えてみると、アンソロジーを作るのは難しい。編者の自己満足だけになってしまうことがある。あとがきでは、愚直なまでに真摯に、小説における「味わい」というものについて語っている。文体とあらすじとすべてが渾然一体となってできあがる、物語というものが持つ複雑な妙味。こだわりぬいた軸のある仕事だと思う。


同じくらい質の高い小説たちを異種交流試合のように出場させたことで、今まで気づかなかった魅力が感じられる。湿り気が多いと思っていた中上健次に、意外に空虚な哀しみが多いこと。赤江獏の強靭さと狂気。「ニジンスキーの手」は私は太腿描写が世界でいちばん優れた小説だと信じて疑わないのだけど、他の小説がいろいろ負けずおとらず頑張っていて、我が太腿文も相対的に冷静な気持ちで読むことができた(でもやっぱりさすがの太腿だった)。庄野潤三の描く「悪」。河野多恵子の可愛らしさ(また貝ネタ!今度は牡蠣!)。遠藤周作という小説家は、自分の登場人物を愛しつつも神のように残酷にあつかってのける。半村良のバカまっとうさ。天にのぼりつめて消える草間彌生。なんだかほのぼの終わっちゃう八木義徳、そんなまとめでええのんか!(笑)ふうの素敵な終わり。