管絃祭

竹西寛子『管絃祭』。
語る視点人物をつぎつぎに切り替えつつ、竹西寛子特有の端正な文章で、ある時代のある都市を回想する。それは原爆投下前の広島市。川の美しい町。宮島の管絃祭。
いかにも竹西さん的な小説かもしれない。無惨に失われたということが周知のあの広島の話だし、少しずつ人物のつながりが見えてくるという小説の構成がとてもきちんとしていて、隙がないので、時に「文学臭」のようなものが気になっても、読み手の反論を封じてしまうところがある。それはそれで私には快感であるものの、読んで、饒舌にはなれない。目に浮かぶいく筋もの川々、日の光、のどかでにぎやかな水辺の音、品のよい広島弁がほろりほろり。ただそれらが恋しくなるだけ。
広島弁は荒っぽい言葉の代表格にあげられることがあるけれど、広島の人の気性はちっとも荒くない。「饒舌でない」という特徴を持つ少女が途中で出てきて、ごく普通の子なのに、ひどく愛しかった。彼女もその日、死ぬ。残された妹が数十年後、思いをぶちまけるように長くとりとめのない手紙を書く。黙って、すべるようになめらかに読み継いだ。船に乗せられる。船底で深くまるくうずくまる。そのままどこかに流れる。