本は寝ころんで

小林信彦『本は寝ころんで』(文春文庫)。
気軽に読めるエッセイながら、「寝ころんで」というタイトル通りの魅力的な身体性はあまり感じられない。これは現在進行形の「寝ころんで本読んでまーす」ではなくて、「我は寝ころんで読んできたのだ」という矛盾した重々しい自負、「寝ころんで読んでいきたいのだ、読んでいきたいのだ、いきたいのだ…!」という悲壮な願いの現れとみえる。家の中にこういう読書人が寝ころがっていたらそこだけ空気が重そうよ。掃除機をかけたくなる。


杉浦日向子さんの文章で、「正しい酒の呑み方七箇条」というのがある。杉浦日向子が書いているから「粋」と解釈してしまう恐れがあるけど、冷静になって読むと、それはただのアル中である。「五、呑みたい気分に内臓がついて来られなくなったときは、便所の神様に一礼して、謹んで軽く吐いてから、また呑む」「六、呑みたい気分に身体がついて来られなくなったときは、ちょっと横になって、寝ながら呑む」。酒を本に置き換えると、小林信彦も立派なアル中だ。杉浦日向子さんのようににこにこと洒落のめす方向ではないが、吐くくらいなら読まなきゃいいのに、読まずにいられない人である。これは単なる量の問題ではない。飲む・読むという行為がダイレクトに魂に吸収されていく。


中盤、小林信彦が自分自身の小説を書いている間の読書日記は、グダグダでしんどそうです。この人のキーワードは「映画」「東京」「ミステリ小説」。執筆が頭を占めてしまって精神がグダグダなとき、映画館に行けないストレスを映画本にぶつけているのだけど、教養重視の小林さん、それらの映画本の記述間違いなどを発見するや怒り爆発。あるいは女が女の目線で描いたエロ描写に興味があると言って、斎藤綾子をくり返し絶賛しているのが少々気持ちが悪い。どうだ凄いだろうと「そういう描写」をわざわざ引用してくれるが、私は全然いいとも斬新だとも思わない。それから、小林信彦パトリシア・ハイスミスが好きすぎる。


それが「小説を脱稿した」という日の日記から突如、筆がキレキレ。「映画」は面白そうだし、「東京」の切り口も新鮮だし(森まゆみさんの誉め方が腑に落ちる)、男女の性差に対する着眼も、そこから新しいものを生み出している。本質を超絶ズバズバつくようなことが、句読点まで安定した文章で書かれていて、読みやすいし、すごくいい。衝撃的だ。才能がある。


小説を書くのはなんて大変なことなんだろう!


本は寝ころんで (文春文庫) 杉浦日向子の食・道・楽