お天気

某日
百日紅』を最初に手に取った日は、関西が入梅したその日だったと思い出す。梅雨の幕開けにふさわしい土砂降りで、大音声の雷付きと大サービス。
外を歩けば汗ばむのに、屋内でじっとしていると薄ら寒い。昼日中から薄暗く、一日ずっと電灯を点けている。おまけに読み耽っている本がお江戸情緒たっぷり、龍やら鬼やらもひょいと顔を覗かせるものだから、降り込められてひとり、だんだん今がいつだかここがどこだかも怪しい気分に陥った。
雨、それも大雨にはそんな力がある。時間、場所、時にはあの世との境目まで、いろんなものの遠近を曖昧にし、空気をぐらりと揺らがせて、束の間、異界を見せる。
ここは江戸ではないけれど北斎の画の中にいるみたい。



某日
ちょっとしたついでに開いた『ぐるりのこと』で引用されていた宮沢賢治
  雨すぎてたそがれとなり
  森はたゞ海とけぶるを
は秋の詩。秋もいいなあ…。『ぐるりのこと』は思いというものをどこまで広げられるか、思考をどこまで広げられるか、そんなエッセイだから、広げて広げた思いはいつしか自然にメッセージとなって読み手に届く。だから梨木さんは物語を志向するのかもしれない。自分がその場にいて思いを広げるだけでなく、物語という動きの中でさらに思いを展開させていくのだ。
それはそうと『ぐるりのこと』のようにウチとソトを深く感じ取っていくエッセイから、境界のことを思い、さらに回り回って映画「コンスタンティン」を思い浮かべる。主人公のキアヌ・リーブスはこの世と地獄を行ったり来たりできるのだが、なぜかその境界には液体があるらしく、行ったり来たりするキアヌはそのたびにずぶ濡れになる。あれは、キアヌから水をしたたらせるというサービスシーンだったのだろうか。


百日紅 (上) (ちくま文庫) ぐるりのこと (新潮文庫)