海の夢

裏返るさびしさ海月くり返す(能村登四郎)

「くらげ」は夏の季語。


天変斯止を見て気づいたことをこまごま考えてたら、阿呆のように長くなってきた。それで、舞台の上にあったことを考えるのはひとまずおき、舞台の上では語られなかったことをぼうっと想像し始めた。阿蘇左衛門=プロスペローが、復讐を思いながら岩窟の住処で見るゆめを。くりかえす波の音を。


文楽にはトールキンの書いたような「ゆきて帰りし物語」が存在せず、行ってしまうこと、あちら側へ渡って永遠に帰ってこないことが物語られるが、テンペストは「ゆきて帰りし物語」だ。あるいは、行くと見せかけて行かなかった物語である。
主人公のプロスペローは復讐の念とともに孤島で12年間を暮らしたが、しかしそれは夢のようなものだった。鬼界ヶ島に流された俊寛のごとく精神を蝕まれることなく、と言って善の立場から12年間をむなしく哀しむのでもなく、物語の終わり、プロスペローは微笑んで夢を肯定する。時間は、そこでゆったりとたゆたう。
文楽には「オクリ」という特徴的な三味線の旋律があり、物語を少しずつ加速させながら先へとオクっていく。そのオクリが天変斯止では使われていなかったのだけど、使われていたら、かなり奇妙に感じたのではないかと思う。
プロスペロー、あるいは阿蘇左衛門は、岩窟の眠りの中でどんな色の夢を見ていたのだろうか。また、その父の傍らで何も知らず眠るむすめの美登里は。何かとても不思議でうつくしい夢を見ていたような気がする。そのゆめを、自分も少し知っているような錯覚さえある。
テンペストの最後で、プロスペローが直に観客に語りかけてくるのは、プロスペローが「行かなかった」からこそ可能になった、観客との親近性の現れだろう。一瞬、プロスペローが私たちとひとつに溶け合い、沈みゆく。海の物語のなかに。

このような不思議な色彩を持つ主人公は、故・玉男さんでなければ、なかなか描けないものかもしれないなあ。