ハリー・ポッターと謎のプリンス

恒例のハリーポッターの映画を見たよ。原作は図書館で7巻最後まで流し読みしてるのだけど、6巻はあまり記憶がなくて、あの人ではなくあの人がお亡くなりになるものだと思い込んでいました。最後、ここで終わりなんだ!ってすごく吃驚した(笑)。
「その事態」を眼前にして、マクゴナガル先生をはじめ教師と生徒全員が無言で杖を空に差し上げたシーンは原作になかったように思うけれど、この監督さんは、過去があって現在があり未来があるという物語の荘厳で大きな流れを形にするのがとても上手だと思う。学校の歴史を感じさせる美しいシーンでした。もう6巻まで映画になり、残すは最後の1巻のみ。ハッピーエンドで後味よく終わったのは3巻までで、4巻以降は原作も映画も悲劇が次々に起きる。私は映画の1作と2作となんとなく見に行って、まあ小さい子たちがお揃いの制服着て可愛く面白かったので3作も見に行って、ああもうこれはせっかくだから最後まで見ようと決めたので、7作目を楽しみに待ちます。


ちなみに原作未読の場合、
Q:「ハリー・ポッターと謎のプリンス」というタイトルですが、あの人がプリンスだというのは何か意味があったのですか?重要なことですか?
A:ぜんぜん重要じゃありません。忘れてください。
みたいな…。




・イギリス人である各キャラたちが夜はパジャマなのか寝間着なのかジャージなのかナイトガウンを着ているのかをチェックするのが毎度の楽しみ。
・ルーナがべらぼうに可愛かった。監督はやっぱりルーナ贔屓。ジニーも可愛かった。ハーマイオニーがクリスマスにやわらかそうな胸の谷間を強調していてハラハラした。
・全寮制学校の楽しみというのは、低学年のころはおやつとおもちゃ、高学年になると恋愛、しかないのか? あと部活(クィディッチ)と。
・ゲーゲートローチ的なブツはくれると言われてももらいたくないが、フレッドとジョージのお店なら何か素敵なものが買えそうな気がしている。
・「分霊箱」の魔法は興味深い。というのは写真や肖像画の中の人物が本人が死んでも永遠に生き続けることと、殺人を犯すことによって魂が引き裂かれるということの違いが気になるから。
・トム・リドル少年の幼時の様子はオーメンふうの演出。美少年でとても雰囲気があったのだけども、パロディというよりはちょっとオリジナリティ不足の印象。ホラー演出で好みなのは姿現しの魔法かな。デスイーターがロンドンからホグワーツまで黒い疾風のようにやってくる、悪いことはそのようにして遠くから近づくという接近や距離性が。
・この物語は親と子の間にある執着心を描いているのが現代的だと思う。1巻の始めから主人公には「親が自分を守って死んだ」という設定があって、映画でも100回くらい「君はお父さんにそっくりだ、目だけがお母さんで…」という台詞がくりかえされる。主役3人のみならず主要キャラのほぼ全員について親の職業や経済状況、信条などがさりげなく明かされている。良くも悪くも、子が親の影響を強く受けているという関係があり、それが大小様々な出来事を引き起こし、また家庭とは異なる世界である学校の教師と生徒の結びつきや、生まれながらの血統に対する差別主義への抵抗というストーリーと絡みあっている。
・親は子にとって「過去」でもある。恋愛には過去も未来もない刹那の歓喜があるが、友情も過去の信頼関係の積み重ねといえる。主人公らが属するグリフィンドール寮の信条は「勇気」で、映画的には勇気=杖がなければ素手で戦えばいいじゃない!という無鉄砲さも描かれているのだけど、まあ素手はともかく、臆病さって多くの欠点の中でもっとも致命的なものの一つかもしれない。本当は臆病であってもそれを克服するだけの好奇心、理想、怒り、などで臆病さをそのたびに克服していく人もいるだろうけれど、多くの場合、臆病は臆病のまま克服せずに生きていくと思う。だけどふと、臆病な人間に「思い出」はできるんだろうかと思った。何につけ、自分で主体的に行動できない人間にできる思い出とは、どんなものだろう。もちろん主体的というのはあいまいで、誰かの周りに取り巻いて一緒に流れに乗るなどした場合も、多少は主体の香りをかぐことができるかもしれないが。というようなことを帰りに連れと話した。すなわち、この物語がいくつかの臆病さを描き、過去と思い出を描き、「勇気」を中心にすえているのはなるほどだねーと。