眠る石

眠る石 (ハルキ文庫)

幻想譚を読みたくなって、古書店で買った中野美代子『眠る石』(ハルキ文庫)。実在の古い建築や絵画にまつわる幻想の十五夜。昼間に読むのがもったいなくて、黄昏を待ち、空想のなか、クルアーンの詠唱に身を焦がす。わずか数ページの掌編を飛ぶようにして闇をすべる思い。月が巡り来る。谷川渥による解説「地誌学的想像力と石化の夢」もぴったりで、こんな時空の話は昔から、いつまでたっても、とても好みだ。

 こうして、画家は六・六フィート四方もの画幅を、まずウェストミンスター・アベイのサンクチュアリ床のモザイク意匠から描きはじめた。画幅下方の左右に大きな円弧がある。ただし、意匠は対称ではない。左の円弧をとり囲む小三角形から成る連続文様は、この円弧の一端をかくす巨大な方形パターンへと流れ、あたかも墓所へと人をみちびく迷路のようになっている。いっぽう右の円弧は、おのがじし完全な円弧をなし、三角形の連続文様も、まるく完結している。
 この左の円弧のなかに、ド・ダンドヴィル大使の片足を立たせよう。そして、右の円弧は空白にしたまま、ド・セルヴ司教のつつましげな両足をその縁に立たせよう。
 ウェストミンスター・アベイの昼なお昏いサンクチュアリと、それにつづくヘンリー七世礼拝堂の静寂が、画家の耳を搏った。と、たちまち、墓所のそこここの石棺がひらき、おびただしい髑髏たちが剥啄たる音とともに舞踏をはじめた……


(第七夜「ウェストミンスター・アベイ」より)