日本三文オペラ

日本三文オペラ (新潮文庫)

開高健『日本三文オペラ』(新潮文庫)。あるホームレスの男「フクスケ」がアパッチ族に加わり、また去っていくまでの物語。
大阪中心部にある大阪城の外堀のすぐ東側には、かつて東洋最大とうたわれた陸軍の兵器工場が広がっていました。戦時中は6万人を超える労働者が動員され、小銃から戦車まであらゆる兵器を生産していたといいます。しかし1945年8月14日、日本がポツダム宣言を受諾するタイミングを見計らっているうちに、工場は空襲で壊滅。それから10年あまりを経て、この物語は始まります。

 三十五万坪を占めるのは鉄と砂と草だけで、見わたすかぎり無機物の原である。

1958年、この兵器工場跡地に眠る膨大な金属スクラップを盗掘、売却して生計を立てていた「アパッチ族」と警察の間で激しい攻防戦が起こりました。アパッチ族とは西部劇のインディアンから連想して新聞が名づけた呼称ですが、近くで貧民部落を形成していた在日韓国・朝鮮人に日本人も加わった数百人の集団のようです。折しも高度成長期、金属の需要は高まる一方。国の代わりに戦争の遺物を除去してやっているとうそぶきながら、毎夜、生きるために「笑う」、すなわち金属を「盗む」ために、大勢の男や女、老人から子どもまで役割を分担し、貧民部落から隊列を組んで汚濁の泥だらけの川を渡り、対岸の跡地をめざします。「先頭」と称するとくに屈強な男たちは、ひとり三十貫(約112キロ)もの鉄塊を肩にかつぎ、そのまま真っ暗な荒野を疾走するアパッチを見て刑事が思わず「風速15メートルや」と感嘆したというくだり、さりげないけれどこの小説の頂点。ユーモラスな大阪弁の一言がすばらしいです。ツルハシを持つ者、見張りをする者、落ちたらすぐに汚泥が肺につまって死ぬ川にぼろぼろの伝馬船を浮かべる者、仲間に飲ませる水を一升瓶につめて運ぶ者。警察との攻防が朝まで続いた時は、出勤していくサラリーマン達が電車の窓から口々にアパッチをののしりますが、アパッチ族の集団は開き直って線路をゆうゆうと横切り、電車を止めてしまうのでした。


現在、京橋駅のそばには、爆撃された大阪砲兵工廠の慰霊碑が今もひっそりとありますが、喧噪の中でかえりみられることもほとんどないでしょう。開高健大阪市出身、大学まで大阪で過ごします。『日本三文オペラ』は1959年の発表で、在日韓国人の友人であり詩人であった金時鐘梁石日を通じて取材をおこない、書かれた小説。主人公がアパッチを理解していく前半がとくに面白く、三島由紀夫との類似点もあげられそうな装飾過多・しかし今でも大阪環状線あたりに残る「あの空気」を活写した文章に、ぐんぐん引かれます。じゃりん子チエのチエちゃんが焼くホルモン焼きよりもさらに濃い、臓物を喰らう匂い。屠畜本とも共通するあの匂い。「肉」を食べる時の祝祭ムードを通りこし、ビールのあてとしてではなく飢えから牛や豚の「臓物」をむさぼり喰らう胃袋は未来のない、どん底の…。
しかし、一般社会でつまはじきされてきた者のすべてがアパッチでは役割を与えられ、無意味な喧嘩もなく、身の毛のよだつようないぼいぼの臓物までおいしそうで、理想郷のおもむきすら漂わせます。
けれども理想郷になりかかるとそれに惹き寄せられて人が増え、目立つゆえに警察の取り締まりが激烈になり、一方で肝心の金属スクラップは減り、部落は滑稽な騒ぎをくりかえしながら瓦解していくのです。
そもそもやっていることが盗掘で、生産が何もないのだから。
よくも悪くも開高健の脚色が感じられる小説だとは思います。登場人物がちょっと不自然なほどの言葉を与えられていて、とうとうと言葉をあやつりすぎるのが気になりました。また、後半はたくさんしゃべっているわりに無駄なしゃべりが多く、前半でせっかく立てたキャラも後半ではあまり生きず、物語がきれいに伸びません。
部落の瓦解が外部からの要因を主に書かれていることや、アパッチの心理が小説の通り「老獪で精悍、悲惨で滑稽、そしてつねにあくことを知らず精力的」で言い尽くされるものなのかといったことも、疑問が残るところです。言い尽くせないものを言い尽くそうとしている開高健の姿勢にちょっと疑問がわきます。
けれど、歴史的に重い出来事をもとにしつつ、見事な会話文や描写に引っ張られ、ラストまで疾風のように読ませてくれました。オペラふうに、派手な場面場面を好きに楽しめばいいのかも。アパッチの子どもの、にくたらしいけど所詮子どもという言動など、何度も読み返して笑ってしまうほど生き生きしていました。


読み終わってからなんとなく近所を歩いていると、近所のどのお宅も小説中の平行四辺形に傾いた家々に比べれば(すみません)キラキラまぶしいほどきれいで、どんな小さな古いお宅でも表札に工夫をこらし、植木鉢の花を置き、ひびの入った窓ガラスにもちゃんと張り物がしてあるなんて、それにいちいち感動するのも変な話ですけど、空気は澄んでおいしいし、眼をまるくしつつ何度も立ち止まってしまいました。



冒頭部分を少し書き抜いてみました。

 あとで仲間から“フクスケ”と呼ばれるようになったひとりの男がすこし酔ったような足どりでジャンジャン横町を歩いていた。

この男の歩いているジャンジャン横町とは、

大阪の「新世界」という場末の歓楽街にあるせまい路地である。ちかくには美術館と動物園という、似たようなものが二つあるが、この豊穣ではじしらずな町にはなんの影響もない。新世界そのものは、美術館のある丘のしたにひろがった、むらむらとした湿疹部、または手のつけようもなくドタリとよこたわった胃袋とでもいえるようなところだから、ジャンジャン横町はそれにつづく腸管みたいなものである。……ホルモン、すし、ライスカレー、ごった煮、おでん、あめ湯、大福餅、天ぷら、シュウマイ、酒まんじゅう、やきとり、カツ丼、かば焼き、にぎりめし、みそ汁、刺身。たがいにおしあいへしあい腫物のようにかさなりあい、くっつきあって、いっせいに匂いをもうっと吹きつける。思わず藁みたいにふるえると、麻雀屋の窓でけたたましく陰惨な声が『食うてこませ!」と叫んだ。映画館の銃音。すし屋の大太鼓。パチンコ屋の軍艦マーチ。廃兵の君が代。そこへ拡声器を切符売り場へもちだした劇場からは女のアクメのうめき声がたちのぼって町いっぱいにみちわたるのだ。もうすぐすればあちらこちらの壁に裂けめや穴のひらくのが見えるだろう。腸管は充血して酒精の熱い濃霧のなかでゆがみはじめるにちがいない。

 ふらふらしていると、見知らぬ女が「兄さんよ」と声をかけてきました。

 ほぼ中年と思われる年配で、男物のくたびれたワイシャツをスカートのなかにつっこみ、草履のように薄くなった下駄をはいていた。眼と眼のあいだが平目のようにひらき、瞼はするどく切れて、頬骨がとびだしている。ひと目で朝鮮人だとわかった。目じりには皺がたくさんあってこれまでの苦闘をしめしているが、ひくい鼻や、がっしりした肩や、つよそうな首、小作農民系のこすっからさをうかべた眼など、どの点をとっても、どのような時間のヤスリにもたえられそうな、丈夫一式という印象で、胴の長い、すわりのよさそうな体つきはいかにも子供をたくさん生みそうであった。

 ちなみにフクスケの外見は、こんな感じ。

見たところは大きな男だが、すこし猫背で、穴のあいた水袋のように筋肉が骨のうえでたるみ、すっかり弱りきっていた。眼は乾いてどんよりかすみ、重そうな顎をたらし、紐のないかたちんばの靴をひきずっていた。例によって、ボロ切れ、空缶、藁のかたまり、ボール紙の切れっぱしなどといった、すっかり正体のなくなったものを背負いこんでいる。歩くところを見ると、まるでちょっとした塵芥山の移動である。さすが不潔好きのジャンジャン横町の連中も、この男がやってくるのを見ると、眼をそむけた。職業はもちろん、家、子供、女房、道具、名前など、あらゆる属性を失ってすでにひさしいということが一瞥してわかった。悪臭を発する都会のひき肉とでもいうよりほかに言葉が見つからない。どんな子宮からしかめつらで這いだしてこうなったものか、さっぱり見当がつかない。むだなことは、まるで町工場裏の空地の、一年じゅう乾いたことのない、白内障でつぶれた眼のような水たまりにも似た男である。

 そうして女に拾われたフクスケは、京橋駅近くの貧民部落へ向かいます。

いたるところで下水溝が泥や米粒の嘔吐をもりあげ、道を緑いろに腐らせている。………

 ようこそ、笑う世界へ。