ひりひりするような煙

今朝からちょっと咳が出ています。これ以上進行しませんようにー。



公共の乗り物で読書している人が何を読んでいるかよりも、音楽を聞いている老若男女が何を聞いているかの方が気になります。そこに自分の知らない、楽しい曲があるかもしれないという期待が大きいのでしょう。期待が大きいぶん、それに反するとガッカリするのも大きいし、本にはそういうまだら模様の感情が全然なくて、何だって読めばそれぞれに面白いという状態。
音楽を聞きたいという以上に、聞きたくもない他人の声高なしゃべり声を遮断したいという気持ちでイヤホンを耳に入れてる人も、多いんだろうけども。
意味と音を持つ言葉という存在、その一方で、音そのものという存在。そりゃ、疲れているときに不快な言葉を聞くなんて拷問よね。
昨今は、iPodまたはiPhoneの人が非常に多い。DSなどでゲームしている人は少し減ったような気がする。しかし新幹線だとゲーム人口が増えるよう。



ケイタイでダウンロードしたノンフィクションなどを読んでいるとき、使用アプリやその文章のタイプにもよるのだけど、通常の本のように「今どのくらい読んだか」がわからないことが少なからずあり、「今」を長い線の中のある1点として俯瞰する瞬間がほとんど一度もないまま、常に現在だけがそこにあって、現在が移行し続けているという感覚を強く味わいます。これはこれでけっこう楽しい。自分が読むのでなく、ミステリの登場人物になって誰かに読まれているような気分。
とは言え、ケイタイで文章を読むのは手が疲れます。手の疲れで時間の推移を知る。ページをぱらっとめくるかわりに、ケイタイのボタンを操作しないといけないから。
それと、ケイタイで読めるノンフィクションや小説には、人間の暗い好奇心をそそるようなオカルト趣味やポルノが少なくありません。ケイタイはキンドルとは趣旨が違う機器。



来春、奈良の大仏開眼を素材にしたドラマがあるというので、テレビのニュースになっているのをちら見。吉備真備役の彼は、前も同じような奈良時代ものに出演していなかったか。
自分の中で、古い時代のことを憶測でもの言う時期はもう過ぎて、古い時代を脳内でまずできるだけ複製し、その上でもの言いたい時期がやってきた。