へうげる

空がきれいに青い。地面は雪と水とで白黒のはだら模様。

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ほわんと残った白い雪の親しみ深さは、中学の友達を思い出させる。2年生の時同じクラスになって、一瞬で激烈に仲良くなったMやん。中学に農村歌舞伎部という部があった。役者は立役・姫・婆のたった3人。Mやんは婆役専門の女子であった。総白髪のかつらに低くよく通る婆声。荘厳な灰色と白の世界。すげー、という見事な演技であった。それはとても生き生きとしていて、決して近寄り難い世界ではなかった。

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が、Mやんに2、3度「婆声やってー」「そぉなぁたぁ何奴ぞぉぉ(←すぐやってくれた)」「うわー///」というのをやってもらった以外は、部活の話は全然しなかったように思う。Mやんは、1980年代の『りぼん』でいうと岡田あーみんさくらももこ的なジャンルに属していて、とても性格の良い女子だった。

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「農村歌舞伎」は郷土芸能で、歌舞伎を田舎芝居で模倣したもの。歌舞伎と同じ演目を、土地に合わせて簡素化した脚本で演じる。演技指導をするおばちゃん先生がいて、県から賞などももらっていたようだけど、ずっと「知る人ぞ知る」という小さな部のままだったと思う。立役は1学年上の美少年、姫役の子は中学1年の時同じクラスだった。彼女もたいへん愉快な女子だった。

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へうげもの』という漫画があるが、うちの村には江戸期から伝わる「ひょうげ祭り」というのがある。ひょうげ=へうげ(旧仮名)、「ひょうきん」の「ひょう」である。「げ」は「〜のような」という接尾語だが、うちの村の方言は、全般的に「りこげ(利口げ)」「うまげ(上手げ・美味げ)」等、「げ」の利用頻度が他所より高いという特徴がある。ひょうげ祭りは、水不足に苦しむ農民のために溜池をつくった武士をたたえ、豊作を祝って皆で「ひょうげる」祭り。しかし子供心に、この「ひょうげ」は形式的なものだなあと思っていた。腹に赤いものを塗ってみるとか、踊るような手振りをするだとか、池に飛び込むだとか、どうも、形だけではないかなあと。さあ今から我々はひょうげますよ、という大人たちの自意識が過剰に感じられた。

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大人が本気で道化をやっている凄みというのは、ひょうげ祭りではなく地蔵盆の地蔵祭りにこそ感じていた。これは、地蔵堂近辺の各家が人形を作るのである。人間と同じ大きさの藁人形に布をかぶせて白い人体にし、目鼻を書き、古い洋服を着せて、その年の時事ネタのワンシーンを庭先や店先などに再現する。たとえば柔道着を着た女の子がガッツポーズしている場面をつくり(後ろですってんころりと転がっている「相手選手」の人形もつくってある)、めくりに「やわらちゃん金メダル!」などと書いて立ててあるのだ。政治のネタだったり芸能ネタだったり、流行した映画やアニメのシーン、大きな事件のシーンなど。マネキン人形を調達してくるところもある。稚拙な案山子たちなのだが、なぜか毎年義務のように淡々とそれらが通りを飾る。地蔵盆の夜、浴衣を着て水ヨーヨーなどをつきながら1つ1つ見て回る。暗いところで、とてもなまなましいのである。私の「人形」というものへの傾倒は、明らかに幼年時代にその根がある。

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ちなみに、9月にも同じ作り方で人形をつくって、これは本物の案山子として田んぼに立たせる。