近くのカフェでクラヴィコードによるC.P.E.バッハ演奏会。

クラヴィコードおよびプリペアド・ピアノ 大井浩明
Cafe Montageにて


C.P.E.バッハ ヴュルテンベルクソナタ
第1番 イ短調 Moderato/Andante/Allegro assai
第2番 変イ長調 Un poco allegro/Adagio/Allegro
第3番 ホ短調 Allegro/Adagio/Vivace
第4番 変ロ長調 Un poco allegro/Andante/Allegro
第5番 変ホ長調 Allegro/Adagio/Allegro assai
第6番 ロ短調 Moderato/Adagio non molto/Allegro


アンコール
C.P.E.バッハ ジルバーマンクラヴィーアへの別れ
ジョン・ケージ 孤島の娘たち(プリペアド・ピアノによる演奏)


クラヴィコードを生演奏で聴くのは、人生で2回目。初めて聴いた時も「(ピアノに比べて)音が小さいからしっかり耳を澄ませてくださいね」と言われましたが、今回も、小さい音!というのが最初の印象。でも前回は2〜3曲しか聴けなかったのに対し、今回は2時間近くたっぷり聴けたため、香水が肌につけた瞬間から刻一刻香りを変化させていくのを味わうように、クラヴィコードにもどかしく聴き入る最初の感じから、音の雨に降りこめられるような濃密な第二の時間、曲そのものを知的に楽しむ第三の時間、名残のアンコールまで、堪能できました。


第一の時間。
精巧なドールハウスに見入るような時間。
クラヴィコードはただ音が小さいのではない。サイズが小さいだけで、その中にはすべてがあることを知る。現実そっくりの小さな異世界ドールハウス、ミニチュアというのは、実際にそこでは生活できない偽りの空間なのだけど、あたかもその中に吸い込まれるように、小さい空間にいるような錯覚を起こさせる。
C.P.E.バッハヴュルテンベルクソナタを弾き始める前に、導入として、父J.S.バッハが同年に作曲した有名な曲をひとつ弾いてくださいました。
ゴルトベルク変奏曲より、アリア。
かそけき音に、耳をそばだてる。クラヴィコードで演奏されるこの曲は、ひそやかで、本当に美しい。これと同じ年に書かれた曲か…!ということで、ヴュルテンベルクソナタへの期待が一気に高まる。


第二の時間。
ドールハウスに本当に入り込んでしまった時間。
耳が音に慣れたせいでしょうか? コンサートホールの演奏会で時々経験するのだけど、演奏会の途中のある瞬間から楽器が驚くほどよく鳴り出して、会場に音がみっしりと満ち、頭上から音が降り注いでくる感覚。コンサートホールのピアノでなくても同じことは起きるのですね。音響学で何か名前がつけられているのかな、この現象。クラヴィコードの音はリュートによく似ている。チェンバロとは全く違う。きれいな音。


第三の時間。
さて、今宵のお師匠、C.P.E.バッハさんをまじまじと観察する時間。
CDも数枚持っているし、自分の中ではわりとメジャーな作曲家なのだけど、さて、この人の曲というのは華やか、耽美、優雅、多感でちょっと意地悪、文章で表現するなら三島由紀夫の文体で書き記したい感じ。……と思い込んでいたのが、よくよく耳を傾けてみると、意外に多面的。このフレーズの作り方、鬱と陽のめまぐるしい転換、突然の休止、急―緩―急の構成、むむむこれはもしや…と思っていたら、曲と曲の合間に演奏者が「このタタタターというリズムは、ベートーヴェンの《運命》の動機と同じです。書かれたのは《運命》の60年くらい前ですが」と仰る。そうか!古典派だ! 普段好んでよく聴いているハイドンの鍵盤ソナタに、これらの要素がたくさん出てくる。J.S.バッハモーツァルトショパンみたいな流れの傍らに、C.P.E.バッハハイドンベートーヴェンみたいな流れもあったのね。要素がほどけてくると、曲もさらに楽しく思え、1曲1曲好奇心をかき立てられながらどんどん聴いてしまったのだった。第4番のアレグロは特に面白かったです。超絶技巧もたっぷりで、第4番〜第5番は客席もやんややんやの喝采


アンコールの時間。
一転、これぞC.P.E.バッハ、これぞクラヴィコードという優雅な1曲。
C.P.E.バッハが愛用のクラヴィコードを弟子に譲る時に書いた曲だそうで、演奏者は「激鬱な曲」と仰ってましたが、私には遊戯的な悲しみに聴こえました。本心から辛がっているというより、新古今和歌集を思わせる、シチュエーションにのっとった悲しみというか。でもそのクラヴィコードを譲り受けた弟子は嬉しい嬉しいと能天気きわまりないバカな曲を書いたそうなので、C.P.E.バッハさんは本当に心底悲しかったのかもしれない。笑。うっとりするような曲だったなあ、また聴きたい。
そしておまけにもう一転、クラヴィコードを吹き飛ばすジョン・ケージの1曲。
プリペアド・ピアノを生演奏で聴いたのは初めて。曲の構造はなんだかよくわかりませんでしたが面白かったです。市販の楽譜を普通に使っているのが新鮮だった。そりゃジョン・ケージくらいだと市販されてて当然なんでしょうが、いやー。楽譜、売ってるんだ…的な。笑。このカフェで、近い日程にジョン・ケージの演奏会も催されていたので、その宣伝もかねてというか。


演奏が終わった後、クラヴィコードプリペアド・ピアノにさわっていいですよーというので、皆で楽器に群がって楽しんだのでした。