カフェでルネサンスリコーダーの会。

ルネサンスリコーダー 濱田芳通
Cafe Montageにて


ヤコブファン・エイク 「笛の楽園」より
  アマリッリ麗し(ジウーリオ・カッチーニ原曲)
  ブラヴァーデ
  優しいシレーナ
  涙のパヴァーヌダウランド《溢れよ我が涙》に基づく)
  イギリスのナイチンゲール
  美しき娘ダフネ
  ファンタジア
  道化師
  ファンタジア
  戦争
  蛙のガイヤルド


上のプログラムは、不正確かもしれないです。小曲がたくさんあって、当日配布されたプログラムを書き写してみたのですが、どこかで曲目変更もあったような気もするし…。帰り道ではちゃんと覚えていたのになあ。
ともあれ、色っぽい演奏会でした。
濱田さんはリコーダーを3本ほど持って登場なさったように覚えています。最初の数曲は太く長いリコーダーでボオーっという低い音を。これは肺活量が相当必要なのでしょうね。普通は他の楽器との合奏で適度に休みつつ吹けるのでしょうが、今回はソロのため、長い曲でも休みなしで吹き通さねばなりません。しかも超絶技巧(!)。太い指がめまぐるしく動き回り、ハッと息継ぎされる時など、なまなましい色気にどきどきしてしまいました。
曲の合間には、解説などをご本人で。濱田さんは若くておしゃれな男性ですが、演奏中の近寄りがたい真剣さとは打って変わって、にこにこと親しみやすい雰囲気でお話をされます。盲目の貴族で、科学者であると同時に鐘(カリヨン)の奏者でもあったというヤコブファン・エイクについて。教会の庭でエイクの笛に耳を傾けた当時の人々について。暮らし。恋愛。思いつくまま曲を聴かせ、サービスまたサービスで曲が彩られていくことについて。どこまで吹いたか自分でもわからなくなるので、変奏曲では曲と曲をしりとりのようにつなげて吹くことで一貫性を保っていたこと。それはゴルトベルク変奏曲などにもまだ残っていること。当時の即興について。などなど…。


それらの時代はとてもとても遠い。
ファン・エイクにも、当時の誰にも、私たちは感情移入をしない。
ただ、日常の隣人への愛とは違う、遠いものと不思議な愛でつながっている。


休みつつまた笛を吹き、吹いてはまたお話を。《イギリスのナイチンゲール》など、小鳥の声を模したような曲は細く短いリコーダーでピロピロと。終盤、道化師やファンタジア、戦争、蛙のガイヤルドなどは、中くらいのリコーダーだったかな? どの曲か、とてもきれいな曲がありました。ファンタジアだったかなあ。


やはり不正確な記憶ですが、こんなことを話されていたのが印象的でした。


“当時の音楽家について、わからないことはいっぱいあって、僕もつい最近ちょっと調べてみただけなんです。その時に驚いたのが、普段、演奏家は、自分の好きなように演奏したい、お客さんを楽しませるとか、媚びるとか、何も考えたくないと思ってる。なのに、当時のことを調べれば調べるほど、当時の音楽家は、僕たちの一番したくないこと…道化師のようにお客さんを思って演奏している。”


困ったように、でもにこにことおっしゃっていました。


アンコールは2曲。2曲目は、飛び入りのタンバリンとリコーダーの楽しいセッションに。